5.猿ヶ森ヒバ埋没林はどのようにしてできたのか?
  −人間活動と埋没林との関係−

   育林部 土壌研究室 岡 本 透

 現在私たちが目にしている風景は,大昔から現在まで私たちの先祖がさまざまな形で自
然環境とかかわってきた結果として作り出されてきたものです。人間の手が全くかかわっ
ていない,手つかずの自然を見つけるのは,おそらくとても難しいのではないでしょうか。
 東北地方北部には,かつて蝦夷(えみし)と呼ばれる人々が住んでいました。蝦夷につ
いては,当時の中央国家であった大和の文献にしか残っていないために,どのような生活
を送っていたかはあまり認識されていませんでした。しかし,最近では柳之御所跡遺跡や
十三湊(とさみなと)遺跡の発掘などによって,その系譜を継ぐとも考えられる藤原氏や
安藤氏が,独自の豊かな文化を持っていたことが明らかにされつつあります。豊かな文化
を成立させるには,しっかりとした生活基盤が必要であったと考えられるため,当時の人々
の生活は森林に対しても,強い影響を及ぼしていたのでしょう。そうした昔の人々と森林
との関わりを,青森県東通村にある砂丘砂や泥土に覆われた「猿ヶ森ヒバ埋没林」がどの
ようにして形成されたかを例にして,考えていきたいと思います。
 「猿ヶ森ヒバ埋没林」は,津波によってヒバが枯死して形成されたと考えられていまし
た。しかし,最近の研究では,津波で直接形成されたのではなく,何らかの原因で移動し
てきた砂丘砂で形成されたと考えられるようになりました。また,埋没ヒバの放射性炭素
年代測定の結果から,埋没林の形成が1回だけではなく,複数回あったことが明らかにさ
れました。下北半島北東部に分布する砂丘には,埋没腐植層と呼ばれるかつての地表面を
示し,砂丘砂の移動がなかったことを示す層が何枚か認められます。これらの埋没腐植層
の年代を測定した結果,埋没ヒバと砂丘砂の移動との間に密接な関係が認められました。
 また,この地域には,中世の住居跡や製鉄遺跡が数多く分布しています。製鉄遺跡から
は大量のヒバの炭が,住居跡からはヒバの柱が出土しています。これらのことは,当時の
人々がヒバを大いに活用していたことを示しています。これらの遺跡の年代も埋没ヒバの
年代と密接な関係が認められました。
 以上のことを整理すると,やはりヒバ埋没林は砂丘砂の移動によって形成されたようで
す。そして,砂丘砂の移動した主な原因は,今から千年前頃から行われた製鉄活動である
可能性が非常に高いことがわかりました。猿ヶ森地域には「いつの時代か分からないけれ
ども,非常に豊かな頃があった」という伝承が残っています。もしかしたら,中世に製鉄
を生業とした豊かな集落があったのかもしれません。しかし,製鉄活動に伴う砂丘の開発
や森林伐採などで,砂丘はむさ出しになってしまいました。むき出しになった砂丘からた
くさんの砂が飛んでくるようになり,暮らしにくくなったため,集落は衰退していったと
考えられます。その後,森林がある程度回復すると,再び製鉄が試みられたようです。
 自然環境は微妙なバランスの上に成り立っています。私たちが豊かな生活を求めるあま
りに自然環境を破壊してしまうと,その微妙なバランスが崩れてしまい,逆に暮らしにく
くなってしまうといった,自然からのしっぺ返しのようなことが生じる可能性もあります。
「猿ヶ森ヒバ埋没林」は,人が自然とどうかかわっていくべきかを,私たちに再認識させ
てくれる貴重な場所なのです。


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